大判例

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和歌山地方裁判所 昭和23年(ワ)187号 判決 1948年11月16日

原告

小内謙次郞

被告

国(法務庁長官)

主文

原告の請求は棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

請求の趣旨

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金百十九万九千二百圓及びこれに対する本件訴訟状送逹の翌日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支拂わねばならぬ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

事実

(一)  原告は新宮市新宮七千二百番地並びに同所七千二百一番地の地上に木造瓦葺二階建居宅建坪三十一坪五合外二階二十一坪八合を所有し且つ同家屋に居住していたところ、昭和二十年七月上旬頃右家屋を疏開家屋の対象として国に買收せられたが、原告において他の場所に右家屋を移して居住するため同月三十一日迄に原告自ら右家屋を解体撤去する条件で和歌山県知事から買戻の許可を受けたものである。

(二)  しかるに、右家屋は高層堅固で木組みも一々ボールドを以つて固め、瓦も一枚毎に銅線を以つてつながれて居るので解体が容易でないばかりでなく、当時敵機の來襲が頻々で遂に新宮市街の爆撃、艦砲射撃等があり、日雇人夫も多数を得ることができずそのため同年七月三十一日までには瓦及び屋根の一部を取外しただけで解体撤去の仕事は進歩せず、遂に同年八月十五日の終戦を迎えるに至つた。

(三)  その後朝日新聞の報ずるところによれば大阪府、兵庫県等では疎開家屋で解体未了のものは解体の必要はないとのことであつたので、原告は新宮警察署で解体の要不要を尋ねたところ、同署は最早や解体の必要はないから復旧して差支えないという返答であつた、そこで原告は右家屋を復旧する計画中であつたところ、同年九月上旬頃同署から呼出があつたので原告において同署に出頭したところ、同署の警察官柏木某は原告に対し「何故家屋を撤去しないか」といつて原告を叱責したので原告は「過日警察署の了解を得たから復旧準備中である」と答えたところ、同人は「誰が何といつても疏開事務責任者である本官は許さぬ。四、五日中に取壊せ」といい、原告において解体の不必要を述べ考慮方を懇請したけれども、これを聴き容れてくれなかつたので、原告は当事の新宮市家屋疎開委員會委員弁護士前川春惠に善処方を依賴し同人において警察署員と交渉し考慮することとなつたにも拘らず、九月十四日前記署員柏木某は又原告を呼び付けて惡罵し且つひどく叱り飛ばし家屋の撤去方を強要したので、原告は当時の和歌山県知事小林千秋に事情を具陳した結果遂に同年十月八日同知事から右家屋撤去の必要ない旨の指令を受けた。

(四)  しかるに同月十二日新宮警察署の警察官等は不法にも右指令に反し多数の人夫を使役して本件家屋を滅茶苦茶に破壊しその資材は全く使用し得ない程度に破損しこれを敷地及び附近街路に散乱せしめ、その乱暴狼籍の跡は眼もあてられぬ程であつた。

(五)  叔上のように原告は国の官吏である新宮警察署の警察官等の故意の行爲に因り原告所有の右家屋をその資材を全く使用し得ない程度に破壊せられてその結果右家屋が現在なお存在していたとすればその現在における時価に相当する損害をこうむつた筋合であつて新宮警察署の警察官等の右行爲は民法上いわゆる不法行爲であるから被告国は原告に対し右損害を賠償すべき義務があるといわねばならぬ。しかして右家屋の現在の時価は金百十九万九千二百円(坪当り金二万五千円と見積る)を相当と認めるので右損害額は該金額である。

(六)  以上の次第であるから、原告は被告に対し右損害金百十九万九千二百円及びこれに対する本件訴状が被告に送逹せられた日の翌日以降完済に至るまで民法所定の年五分の遅延利息の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ、本訴請求は民法第七百九条に基くものであつて国家賠償法第一条第一項に基くものではないと釈明し、被告の答弁事実中原告の主張に反する部分はこれを否認し且つ被告の法律上の主張はこれを争うと述べた。

被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の(一)の事実中解体撤去の時期の点を除きその余はこれを認める。解体撤去の時期は昭和二十年七月二十三日であつた。原告主張の(二)の事実中本件家屋の構造が原告主張のようであつたことは知らぬが、当時新宮市の疎開建物は構造、価格その他の点で上位から順次下位に至るまでを一級乃至五級に區別せられ、本件家屋は一級であつた。同年七月三十一日迄の撤去状況が原告主張のようであつたことはこれを争わないが、人夫の不足等が撤去遅延の理由ではない。原告は当時鉄工業を営み、その工場は海軍の管理工場であつた関係から、同工場附近の疎開が実施せられたものであつて、本件家屋も亦そのための疎開であつた。

そして原告の右工場には職工数十名を使用しており、空襲下の当時として、その職工全部が操業していたわけでないから、その一部を割けば所定時期までに充分撤去ができたはずである。原告主張の(三)の事実中新聞記事の点はこれを争わないが、当時国の機関である警察署がその記事を了知していたこと並びに新宮警察署が原告主張のように復旧を許容したことはこれを否認する。同警察署の警察官柏木義男(現在和歌山県箕島町警察署長)が当時同署の行政主任として本件家屋撤去の折衝に当つていたことはこれを認めるが、同人が原告主張のような言辞を用いたことは知らぬ。同年九月上旬頃及び同月十四日原告を呼出して撤去方を求めたこと前川弁護士が疎開委員として警察関係に了解を求めたことはこれを認めるが、同弁護士は撤去の己むを得ないことを認め、ただ猶予を求めただけである。同年十月八日当時の和歌県知事小林千秋が原告主張のような撤去の必要のない旨の指命をしたことは争わないが、しかし同月十六日まで新宮警察署に対しては何等の指令もなかつた。原告主張の(四)の事実中十月十二日新宮警察署の警察官等が本件家屋の撤去を敢行したことはこれを認めるが、その余の事実は不知である。同日撤去後に小林知事から撤去の要なき旨の電報による通逹があつたが、撤去後であつたので放任するより仕方がなかつた。原告主張の(五)の事実中損害額は争う。疎開買上の価格以上に損害があるはずはない。

新宮市では昭和二十年七月十六日から同月二十五日までの十日間に百二、三十戸の防空疎開を行つた。本件家屋は同市熊野地区方面にあつて、疎開家屋六十数戸の内一戸である。原告は当時右地区に二工場を所有しており、この工場の安全を保つために防空法によつて疎開が決定せられたのであるが、疎開撤去は期限通り進捗せず、右地區で本件家屋と他に一戸を殘し同年八月十日に至りやつと完成した。しかし原告は、その主張の通り本件家屋の瓦及び屋根の一部を除去しただけで八月十五日の終戦後なお且つ疎開せしめるべきかどうかについては、政府から地方官庁への通逹はなかつた。地方の末梢官庁としては、終戦と関係なく法規の命ずるところにより、撤去を敢行したが、これは防空法に基く公権力の行使である。その措置が妥当であるかどうかは別として、当時の法令上少くとも違法な点は存在しない。殊に熊野地区の疎開は前記のように原告の所有工場を保護するために行われたにも拘はらず、原告は自己の所有家屋を撤去せず、他の疎開命令のあつた家屋は全部撤去を終えたのであつた。しかも原告が撤去しなかつたのは、本件家屋を他に転売する意図で交捗していたからであつて、既に撤去した者からは勿論、市民の一部から非難の聲が挙つていた、そこで、新宮警察署としては已むなく八月上旬頃原告を呼出し撤去方を求めたところ、原告はこれを了承した。なお、原告から依賴を受けた前川弁護士も亦撤去することを了承していたが、原告は撤去を実行しなかつた。そこで、同年九月になつて、同警察署は原告と更に交渉し、同月十日までに撤去方を求めると共に、同日までに撤去しないときは、当初の買戻の約定通り同警察署において撤去する旨を申入れたところ、原告はこれを了承した。しかるに、原告は、なおこれを実行しなかつたので、同警察署は同月十一日に原告に対し予告した上、翌十二日強制撤去を行つたのであるから、同警察署は原告の了承の下に撤去したわけである。

本件家屋の撤去は防空法による公権力の行使である。公権力の行使による損害を生じた場合には国に対してこれが賠償を求めることができないことは、旧憲法下において裁判上確定した理論である。ただ当該国家機関が本人に損害を与えることを企図し、公権力の行使に藉口して故意に損害を与えた場合には国家の行爲と見ず当該国家機関の地位にある個人が責任を負うことがあつたに止まる。そして本件は旧憲法下における出來事であるから国には損害賠償の責任はない。当該国家機関は、本件においては当時の新宮警察署長西川元一及びその指揮命令を受けた同署行政主任柏木義男であるが、同機関に前述の意味の故意を認めることはできぬ。本件については何人もその責を負わないことになる。もつとも、新憲法第十七条は、「何人も、公務員の不法行爲により損害を受けたときは法律の定めるところにより国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」と規定し、これを受けて国家賠償法が制定され、昭和二十三年十月二十七日から施行されたがこれは公権力の行使による損害の賠償義務を新に規定したものである。しかしながら、同法の附則では施行前に生じた損害については、なお、従前の例によることになつているから、結局公権力の行使による本件の原告主張の損害については、これが賠償を求める法律上の根拠がないわけである。

叙上の次第であるから原告の本訴請求は失当であると述べた。

理由

原告の本訴請求原因の要旨は本件家屋は原告の所有であつたところ昭和二十七年七月上旬頃疎開家屋として国に買收せられたが、原告において同月末日まで自ら右家屋を解体撤去する条件で和歌山県知事からその買戻の許可を受けたものであるところ、空襲下人夫の雇入れができず、そのため撤去の仕事は進捗せず右期限までに僅かに瓦及び屋根の一部を取外しただけで八月十五日の終戦になつた。そして新宮警察署は最早や解体撤去の必要がないから復旧して差支えない旨承諾し又和歌山県知事は同年十月八日原告に対し右家屋撤去の必要はない旨指命をしたにかかわらず、同月十二日新宮警察署の警察官等は不法にも多数人夫を使役して本件家屋を破壊しそのため原告は右家屋の時価に相当する金百十九万九千二百圓の損害をこうむるに至つた。右は国の官吏である右警察署の警察官等の不法行爲に因る損害であるから被告国は原告に対しこれが賠償をすべき義務がある。よつて原告は被告に対しこれが賠償を求めるというにある。

思うに国又は公共団体の不法行爲に基く損害賠償責任は従来と雖も全然否定せられていたわけではない。即ち鉄道営業等の私経済活動に基く損害について、民法の不法行爲に関する規定の適用されることは争なく、その他の公法上の活動についても、必ずしも全面的に民法の不法行爲に関する規定の適用が排除されていたわけではないが、ただ公権力の行使は、私人の行爲と性質を異にするから民法の規定の適用を受けず、他に法令上の根拠がないから、これに伴う損害についても、国又は公共団体に賠償責任なしとするのが従来の旧憲法下における学説判例の一致した見解であつた。今本件につきこれを観るに、本件は旧憲法下における出来事であり且つ新宮警察署の警察官の爲した本件家屋の撤去は防空法に基き爲されたものであることは弁論の全趣旨に因り明らかであるから、仮りに右警察官等の右撤去行爲が原告主張のような不法行爲を構成しその主張のような損害を生じたとするも、同人等が個人として民法の不法行爲上の賠償責任を負うは格別、国が同人等の行爲につき賠償責任を負担すべきいわれのないことは前記説示によつて明らかである。もつとも新憲法第十七条に基き国家賠償法が制定せられて昭和二十三年十月二十七日から施行せられ同法第一条第一項により国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて、違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることとなり、本件は正に該法条により国の賠償責任を認むべき場合に該当するものと考えられるのであるが、同法附則末項の規定するところによれば同法施行前の行爲に基く損害については、なお従前の例によることとなり、原告主張の本件不法行爲は同法施行前の行爲であるから、該規定により本件については右国家賠償法第一条第一項の適用もなく、結局原告主張の損害については被告国はその賠償責任はないものといわねばならぬ。

叙上の次第であるから原告の本訴請求は爾余の争点につき判断するまでもなく失当としてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のように判決する。

(安部)

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